その2 昔の家の跡と郡山城址を訪ねて
京都駅からは、近鉄橿原線の急行(
6:06発 橿原神宮前行)に乗り込みました。
(実は、京阪電車を丹波橋まで利用するとそのまま近鉄に乗り継げるのですが、当電車が急行の始発で、結局丹波橋駅で同じ電車を待つことや、丹波橋からだと着席できな
いおそれがあるので、京都駅経由にしました)
夜行バスが朝5時に着いても、観光地はどこも開いていません。
(一
部6時頃から空いている寺院などはあり、多少不便だけど撮影には最適なようです)
時間つぶしの方法を考えていて、急浮上したのが「奈良に行ってみよう」
私の家族
は小学6年から中学2年まで、奈良県の大和郡山市に住んでいました。
隣の奈良市には航空自衛隊の幹部候補生学校があり、自衛官である父は教官として3年間赴任していたのです。
その当時の官舎(=私達の住まい)の跡地を訪ねてみようというわけです。
(建物が取り壊されて更地になっているのは知っていました)
|
6:52 急行電車を近鉄郡山で降り、振り向くと駅舎は当時の簡素なままでした。
駅前から
7:10発のバスに乗り込みました。バスの塗装は当時と違いますが、鹿の
マークは同じです。
バス停で降りても「あれ??こんな景色だっけ」
33年ぶりに訪れるのですから、こうなるのでしょう。バス停近くの文房具屋もなくなっていました。
大きな木を見て少し思い出しました。「大職冠のクスノキ」と言うそうですが、当時そんなこと聞いてなかったと思います。
バス停から官舎に向かう坂道。すべりどめの丸印のところは地雷が埋まっているという設定で避けて歩いた思い出があります。(33年前と同じなのだろうか)
官舎跡到着。
この下の画像が当時の官舎です。上の画像と礎石の形が同じで、かろうじて同一地点と分かります。
33年前でも既にボロ官舎でした。2棟続きの長屋スタイルです。
この礎石から道路に向って飛び降りたりして遊んだものです。
当時、フイルムは高価なもので、家だけの写真を撮っては怒られました。
「しゅんは建物の写真ばかり撮ってどうするの」と。
下の画像は浜松にいるイトコが来たときの様子。画像に写っている叔父のサニーはまだ冷房が付いていませんでした。
(我が家の車にも冷房はありませんでしたが)
中学校の入学式のときの様子。一緒に写っている母は38歳で、今(旅行時現在)の家内より若いです。
側溝がフタも付けられずに当時のまま残っていました。当時は排水が流れており、笹舟を作って流したこともあるし、側溝に落ちた自動車を近所の人がみなで持
ち上げた際、それに加わった父がぎっくり腰になってしまったこともありました。
官舎(跡)から目と鼻の先の出身小学校です。(1年しか在籍していないのに、卒業した学校ということになっています)
児童の登校前なので、画像に収めることができました。
当時の記念写真と一緒に↓↓。 (学校名にはぼかしをかけませんが、検索対策で記述は控えます)
今回の探訪にあたり、このような記念写真のカラーコピーとか上で紹介した(昔の)画像のプリントアウトを数多く持参していました。比較したり、思い出の鍵とするための他、
近所の人から不審者扱いされた時に「33年前に住んでいた者です」と申開きができるように、と。
撮影は公道上からとし、撮影機材を見えるように手で持って行っています。
学校を後にして郡山城址に向かう頃、通学の児童とすれ違いましたが、ここは通行人には挨拶をしないんですね。
(地元静岡の浜松では元気な挨拶が飛び交っています)
帽子のデザインや校章は33年前と同じでした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小学校を卒業した後に通った中学校。1年生のときは近鉄郡山駅近くの旧校舎、2年生のときは西側の丘陵地にある新校舎と変わっています。
今回は、旧校舎の通学路である郡山城址を探訪しながら駅に向かうことにしました。
郡山城址に着くまでの道に迷い、グーグル先生に助けてもらいました。町並みが変わっているのと、「ええっ、こんな細い道だったの」と戸惑ったから。
史跡である郡山城址は昔のままでした。
↓この鳥居は、私が居た時に建立されたものです。(鉄製)
当時は最新式のピカピカでしたが、33年の歳月を経て、修理痕が目につきます。
天守後は再整備されていて、昔の面影はありませんでした。昔は鬱蒼とした木々の中にあったのが、随分とこざっぱりしています。
この踏切を渡って左に行くと中学校でしたが、今は跡形もないので、そのまま右に曲がって駅に向かいます。
踏切の標識がSL……もしかして昔のまま???
お城型の駅前交番も、私が居る時に建った記憶があります。
8:15。駅前に戻ってきました。基本的に住宅街の駅なので、朝から営業している店は「モスバーガー」のみ。
京都に向けて腹ごしらえといきます。
近鉄郡山駅は、幹線鉄道の駅としては珍しい構内踏切が残っています。
電車を大和西大寺で降りて、特急に乗り換えました。
もちろん近鉄郡山から京都まで急行で行けるのですが、この特急、子供の時には一度も乗せてもらえず、当時鉄道ファンだった私は指を咥えてみるだけでした。
(近鉄特急そのものは学生時代「アーバンライナー」に乗っています)
そこで、今回乗ってみたい、というのと、寝不足解消という目的もありました。
先発した大阪難波行き特急はそこそこ乗車がありましたが、京都行きは空気輸送同然でした。
(↑この形の車両は当時のものではありませんww)
次の目的地の伏見稲荷大社は丹波橋から京阪に乗っていくこともできますが、丹波橋を通るときは寝ていたので、そのまま京都までいってしまいました。(特急
券は京都まで購入してあったし、乗車券はSUICAなので問題なし)
京都で奈良線に乗り換えて「稲荷」で下車するわけですが、時間は既に10時近くなっており、車内は外国人観光客も含め満員に近い状態でした。