「天は赤い河のほとり」パロディ小説(18)
ユーリさまの日記(その1) イントロダクション
ガチャーンと、つぼが割れる音でわたしは目が覚めた。
窓の外で水くみの下男がつぼを割ってしまったらしい。
「こらっ、静かにせんかっ。皇后さまが目を覚ましてしまうではないか」と叱責する衛兵の声の大きいこと。あんたの方が声がでかいよ。
傍らの水時計を見ると、朝の5時。隣にいるカイルはまだ寝ている。布団から出ると寒いので、女官が起こしに来るまでまどろんでいようっと。
それにしても、アナトリアの冬は寒い。
ふと、わたしの頭の中を、エジプトにいた時のことをよぎった・・・・
エジプトへ
川舟から、ラムセスの実家に降り立った時、わたしはこれでラムセスのものになってしまうのかも・・と不安になった。
ルサファはついてきているが、彼の立場は敵国の軍人ということで、非常に微妙なものである。(着いた途端に家捜しをはじめて、ネフェルト姫に疑われているし・・・・・)
わたしは、今、ラムセスに頼らなくては生きていけない。けど、ラムセスのものになってしまうのはいや。
どうしよう。
何よりもカイルはわたしがここに居ることをしらない・・・・
わたしがここに来て3日後。ラムセスに唇を奪われた翌日のこと。 ラムセスの実家の玄関に人が集まっている。わたしもそっと見に行くと、腰を抜かしそうになった。シュンシューン・イナリが神道の神官そっくりの格好をして玄関に立っているではないか。
早速、召し使いがわたしのところにやってきた。
「太陽の昇る国の神官と申す者が、ユーリさまに祈りを捧げたいと申していますが・・・」召し使いはわたしが落ち込んでいるのを見て、そんな神官でも通す気になったのかな。
確かに、いくら親切にしてもらっても、先が全く読めない状態では、とても召し使いと親しく話す事なんてできない・・・・
シュンシューンは一体何をしにきたのか。
祈祷室には、わたしとルサファ、シュンシューン の他、ラムセスの実家の召し使いやラムセスの副官ワセトが入ってきた。
「悩める小獅子、ユーリ、これへ」
シュンシューンはポケットから小さな機械を取り出した。折り畳み式の携帯電話のようにも見える。
そして、いきなり機械から音楽が。このあいだ音楽の授業で聴いたばかりの、キリスト教の聖歌のようだ。
周りに居る人は皆びっくりしている。「何だ、この音楽は」「この神官は手の中から音楽を鳴らすのか」
「神々しくてすてき」
わたしもちょっとびっくり。わたしの知っている携帯電話の着信音は「Pi Pi Pi・・」なのに、いつのまにか携帯電話がこんなに進化したのかしら。
そして、祈祷を始めた。祈祷文は懐かしい日本語。最初はお経のように聞こえた。
エジプトの神殿で、神主の服を着た神官が、キリスト教の音楽に仏教のお経??
元気な私だったらきっと笑い転げたに違いないが、神妙にしていると、突然、彼の祈祷が意味のある日本語に変わった。
「ユーリさま。返事に気を付けて下さい」
・・・(はい)・・・
「イル・バーニさまのお使いになっている秘密諜報員(スパイ)の情報で、とりあえずわたしがお伺いしました」
・・・(ありがとう)・・・
「失礼ですが、お体の具合は・・・」
・・・(えっ。とてもカイルに言えないけど。赤ちゃんが…)・・・・
「そうですか。それはお気の毒・・」
「で、先を急いで本題に入ります。今、ユーリさまがここにいらっしゃることは誰も知りません。イル・バーニさまの秘密諜報員の情報だけでは、軍やイル・バーニさまは動けないのです・・・・」
・・・(どうすればいいの?)・・・
「大変申し訳ないのですが、逃亡したという形でルサファさまを皇帝陛下のところへ差し遣わして欲しいのです。」
・・・(その間わたしは?)・・・
「ルサファさまのように『密着』してお守りすることは出来ませんが、ヒッタイトから相応の人物が来るまでは、影ながら私がお守りいたします。メンフィスの街のどこかには居ますので」
・・・(わかったわ)・・・
落ち込んでばかりいられない。これが上手く行くと、わたしはカイルの所に還ることができるのだ。わたしのしぼみきった心の中に何か熱いものが満たされるような気がした。
それにしても、イル・バーニがカイルにも内緒で、秘密の間諜網を持っていたのは初耳であるが、それは聞かなかったことにしておこう。
祈祷は終わった。シュンシューンはワセトを伴うと、別室に消えていった。
「ユーリさま。少しお元気になられたようですね。」「どんな呪文だったのかしら」召し使いたちは、ほっとした表情で語り合っている。
わたしは、ベッドに横たわって考えた。ルサファにいつ、告げようか・・・・・・
いくらシュンシューンがついているからといって、やはり彼では不安だわ
少し心に余裕ができたわたし。でも、ラムセスとのやりとりで「カイルが体調不良」「王太后と皇太后が通じている」「カイルの身辺に間諜がいる」ということが判明した時は衝撃を隠せなかった。ルサファを手放すのは不安だけど、このままではカイルが危ない。
やはり、ここはシュンシューンを信じてルサファを手放そう。
わたしは、ルサファを送りだした後、河の中州に目を向けた。
そこには、エジプトの地元民と、エジプト人の格好をしたシュンシューンがいた。
シュンシューンの手には大きな包みが・・・
ルサファが去った翌日、ラムセスの屋敷は「妹を捨てて逃げた兄貴」の話で持ち切りだった。
そんな中、シュンシューンとワセトは屋敷の中庭で何か話をしている。
ワセトが「そんなバカな!!」と大声で怒鳴っている。
そして、肩を落してその場を立ち去るワセトの姿が。
中庭に誰もいなかったので、アイコンタクトでシュンシューンを呼んだ。
「ワセトさんに何か言ったの」
「ええ。「ユーリさまが一人でここに残られたけど、ユーリさまの身に何かあったら、太陽の昇る国の魔法でここが火の海になるから、ユーリさまに危害を加えぬよう」とお願いしたんですが。」
「あと、昨晩、中州にいたのは?」
「ルサファさまに、イル・バーニさまからお預かりした、ヒッタイトの文官の服と金銭をお渡しするためです。でないと、馬や船に乗ってヒッタイト領内を移動できるわけがないじゃないですか・・」
「今、あなたはどこにいるの?」
「先日の戦いで捕虜にしたエジプト人の奴隷の実家です。『エジプトに還してあげるから、道案内のあと実家へ逗留させて』とこっそり頼んだところ、家族一同大喜びでもてなしてくれています。」
「そうよね。・・・わたしも還りたい・・」
「ユーリさま。もう少しお待ち下さい。ルサファさまがウガリットに着きさえすれば、あとはイル・バーニさまが段取りを整えてくれるはずです」
数カ月後。イル・バーニと三姉妹が街に現れた。
わたしたちとイル・バーニたちを囲む人ごみの奥には、荷物を持った異国の神官の後ろ姿があった。
と、ここまで回想したところで、女官がわたしとカイルを起こしに来た。
朝食を食べていると、いつものようにキックリがやってきた。 「本日の御予定は・・・」
そうか、今日、カイルは神事で夜まで帰ってこないんだっけ。わたしはひとりぼっち。つまんないな。
わたしは、と言えば、若干の書類裁可と午後からは友好国大使の謁見だけ。タワナアンナってこんなに暇だったっけ。つまんないな。
「ねぇハディ。まだ治らないの?」「ええ。ユーリさま。もうしばらくお待ち下さい」
子供達は、といえば原因不明の高熱を出してしまい、病宮で手厚い看護を受けている。治る病のようだが、感染防止のためわたしとカイルは面会謝絶なのだ。つまんないな。
暇だから、シュンシューンかアリエルでも呼んで・・・・
ハディに二人を呼ぶように命じたところ「ユーリさま。お二人は学校づくりの最終段階の仕事をしており、手がはなせないようです。公務でしたら呼びますが、お戯れのために呼びつけるのはいかがなことかと・・」
つまんな~い
さっき、刺激的なエジブトの回想をしたばかりなので、余計つまらなく感じるのかもしれない。
わたしは、こめかみがぶるぶる震えるのを感じた。
ハディとアダはひそひそ話をしながら私の前を離れた。まったくあの二人まで・・・・
しばらくすると、イル・バーニがやってきた。またお説教されるのか・・と覚悟したところ
「イシュタルさま、アリエルが『学校の工事現場を見て欲しい』と申しておりますが、今日、お暇ですか?」
「うんうん。いくいく♪」
イル・バーニとハディとアダは顔を見合わせてにこっとしたようだが、まあ、いいか。大好きなお出かけができるのなら。
わたしは、アスラン2世の背に揺られながら、学校設立までの経緯を思い出した。
貴 族の子供は家庭教師がつくのだが、自由民の子どもは教育の機会がなく、軍隊に兵士として入っても、まず楔形(もじ)から教育しなければならない。この時代 の人はこれが当たり前だと思っていたし、わたしも何の疑問も抱いていなかった。しかし、考えてみれば、子供のうちに文字や学問を覚えておけば、兵士が入隊 後、すぐに訓練に掛かれるというものだ。
シュンシューンの話によると、昔の戦争(この時代から見れば遠い未来の戦争か・・)、日露戦争で、日本の兵士はきちんとした教育を受けていたので、隊長が 戦死しても兵隊の代表がそのまま部隊を指揮していたが、ロシア軍の兵隊は満足な教育を受けた者が少なかったため、隊長が戦死すると、一目散に戦場から逃げ 出していたとのこと。
(旅順攻略戦で、日本軍の中隊長以下指揮官全員が戦死し、上等兵が中隊(正規編制で200名程度)を指揮して戦った事例があります)
ま あ、ヒッタイトの軍隊では、新人兵が入隊するときに「忠実さに欠けるものは、女性の衣服を着せ、糸巻き棒と鏡を持たせる屈辱が与えられる」決まりがあり、 実際にそのための衣服や糸巻き棒なども用意されているので、兵士が逃走することはないにしても、兵士の能力は高い方がいい。その方が犠牲も少なくなるし。
(日露戦争でのロシア兵の識字率は約半分と言われている。「これは爆発物である 注意せよ」という貼り紙をしても、半分の兵士は分からないことに・・・。当時の日本兵はほぼ全員 読み書きができた。)
学校の建設は順調だったが、アリエルは先生となる者の教育に負われていたので、現場監督から話を聞いただけでその場を後にした。
それよりも、シュンシューンは今日も不在。さてはわたしが来るのを察して逃げたな。
ここのところ、彼に「近衛長官をやってよ」と誘っているのだが、彼は「文官がいい」と頑として聞き入れてくれず、逃げ回っているのだ。別に剣の腕なんて下手くそでもいいのに。
確かに、近衛長官になると遠征ばかりでなかなか家に帰れない。そんなにアリエルが恋しいの?
王宮に戻ると、シュンシューンが数枚の粘土板を持ってわたしの執務室に現れた。逃げたのではなく、この準備をしていたのね・・・
「さて、近衛……」とわたしが話を切り出す前に「御裁可を!!」
新しい法律の決裁や今までの法律の解釈とのことで、粘土板の文章を読み、判子を次々と押していると……
「あれ、シュンシューン。同じ法律の粘土板が2枚あるのは?」
「ある法律の解釈について、元老院でも意見が分かれて、結局、どちらかをユーリさまに選んでいただくことになったのです」
確かにヒッタイト法典○○条 「もし、王の裁決を拒否する者がいたら、その者の家は瓦礫(がれき)となる」
というものがあるのだが、「家を瓦礫に」の家の解釈が、「家屋」を指すのか、「家屋の他、家族も含んだ広義のイエ」なのか もめているようだ。
わたしとしては、家屋だけで済ませてあげたいのだが、他の刑罰とのバランスを考えると、そうも行かないだろう。
わたしは1枚を選び、判子を押してシュンシューンに返した。
(史実では、「もし、王の裁決を拒否する者がいたら、その者の家は瓦礫となる」というのは、建物を破壊された上、家族親族皆殺し、というように推定解釈されている。:管理人註)
簡単なはずの「書類の裁可」だったが、終わったらどっと疲れてしまった。
しまった、近衛長官の話をするの、忘れちゃった。あれだけ近代戦争について詳しいのだから、その知識でわたしを守ってくれてもいいのに。けちっ。
王宮の鐘が鳴った。ちょうどお昼に・・・・・
(C) 2005 SHUN-SHUUN INARI